第74回共通テーマ「心臓」

 庇の下に入って傘をたたむと、エプソンは扉をノックした。しかし門のインターホンを押した時と同様、反応はない。仕方なく、エプソンは扉に手をかけた。

 エプソンの背丈の倍はあろうかという大きな扉はその見た目に反して力込めるまでもなく引くことができた。

「入りますよー」

屋敷の中は明り一つついておらず、悪天候も手伝って昼前だというのに薄暗い。扉を閉めると、あれだけうるさかった雨の音が一切聞こえなくなった。

エプソンが玄関脇に見つけた傘立てに傘を立てかけていると、背後から陰鬱な男の声が響いた。

「なにしてるんですか?」

「ひぃっ」

 慌てて振り向くと、そこには青白く半透明の男が立っていた。

「ああ、すみません、すみません。驚かせるつもりじゃなかったんです」

 見てくれはともかく、敵意はなさそうだと判断したエプソンは咳ばらいを一つして姿勢を正した。

「いえいえ、こちらこそ勝手にお邪魔してすいません。私はエプソン・キヤノンと申します」

「これはどうも。私は――」

「ツヨインク・カラリオさんですよね、家主の。奥さんとお子さんはどちらに?」

 ツヨインクが玄関ホール中央に設置された大きな階段を振り返ると、足音もなく二人の青白い人間が下りてきた。妻のガンリョウと娘のジュンセイだ。二人とも、ツヨインクと同じく体が透けている。
 ツヨインクが自分に視線を投げかけていることに気づいたエプソンが付け加えた。

「この家がなにかおかしいと、情報が入ってきたんです。そのときにあなた達のことも聞きました」

「あなた、私達を見ても驚かないの?」

 ガンリョウが探るような目で問いかけると、エプソンは胸を張って答えた。

「ええ、私はあなた達のような人をいっぱい見てきたプロですから! よほどのことがない限りはうろたえません」

 その言葉に、ツヨインクは彼女の顔をじっと見つめた。

「さっきのはノーカンです」

「プロって……こんなお若いお嬢さんがねぇ」

 カラリオ一家はますます困惑と不安を顔に貼り付けてお互いの顔を見合わせた。

「大丈夫です、私が必ずあなた達を助けてみせますから!」

 見えにくいが、三人の目が大きく見開かれるのをエプソンは見た。助ける、と言われればお若いお嬢さんにもすがりたいほど困っているのだろう。

「本当ですか! 私達、元に戻れるんですか!」

「大丈夫です。ちゃんと元の人間に戻れますよ」

 そう、この三人は今でこそ幽霊のような姿になっているが、れっきとした人間だ。生きた人間が姿かたちを変えてしまう事例を、エプソンは何度も見てきた。彼らがどのような姿に変わったのか、そしてそうなってしまった理由はそれぞれ異なったが、ちゃんと元の姿に戻すことができた。

「その姿になってしまった理由に心当たりはありますか?」

「実はこの屋敷の心臓がなくなってしまいまして」

「心臓? 屋敷のですか?」

「ええ、この屋敷には心臓があるんです。しかしそれを何者かに奪われてしまい、屋敷のみならず住人である我々まで命を落としてしまったのです」

「盗んだ人とかは……わかりませんよね?」

「犯人は人ではありません。生きている者があの心臓を奪っても何の得もありませんから。盗んだのはきっと命のないものです」

「はあ……」

「でも、きっとまだ屋敷の中にいるはずだよ」
 娘のジュンセイがエプソンを見上げていた。

「どうしてわかるの?」

「だって、屋敷が死んでるから出られないんだもん」

 エプソンは試しに背後の扉を開けようとしたが、どれだけ力いっぱい押しても引いてもびくともしない。そして、自分も閉じ込められてしまったことに思い至る。
「お姉ちゃんも出れなくなっちゃったね」

「ま、まぁどっちみち心臓を取り返せばいい話ですし」

 エプソンはリュックの中から懐中電灯を取り出した。それから地下室に向かいながらツヨインクに心臓について詳しく聞いた。心臓とは代々カラリオ家が所有するこの屋敷に昔からあるもので、地下室にある心臓部屋に安置されていたらしい。そうすることで屋敷は命を持ち、家事などをこなして家主を助けていた。

「家事をこなすとはどんな風に?」

「勝手にモップや雑巾が掃除してくれたり、包丁やコンロが動いて料理を作ってくれたり。まぁ、食材は買ってこないといけませんがね」

 しかしあるとき、屋敷に泥棒――生きた人間が入り込んだ。幸い家族に怪我もなく、警察に通報して犯人は逮捕された。

「しかしまぁ、その泥棒が心臓部屋の扉を開けっ放しにしたんですな。心臓部屋の扉をちゃんと閉めないのは我がカラリオ家の禁忌です」

そして五日前に突然屋敷が死に、カラリオ一家も死んでしまった。もしやと思い幽霊になったツヨインクが心臓部屋を見てみたら心臓がなくなっていたという訳だ。

「ここが心臓部屋です」

 ただでさえ暗い屋敷だが、地下室に降りた時から光源はエプソンの懐中電灯だけなのでひどく視界が狭い。部屋の中を照らしてみると、中央に台座があるだけの狭い部屋だった。隅々まで光を向けてみても、埃が舞っているだけで特段異常はない。屋敷が死んでからというもの、まったく掃除をしていないのだろう。

それからエプソンはツヨインク同行のもと、屋敷を見て回った。しかし地下室、一階、二階とすべての部屋を探索したが手掛かりの一つも見つからない。

「そもそも、命のないものがどうやって盗むんですか?」

 歩き疲れたエプソンは応接室のソファに座り込んで尋ねた。

「それはわかりません。が、心臓部屋の扉が開いていたのですから何にでも犯行は可能だったと思いますよ。先代の残した資料にそんなようなことが書いてありました。この家にあるフォークかタンスか、はたまたそのソファか――」

 エプソンは弾かれるように立ち上がった。

「いや、冗談ですよ」

「いじわるすると帰っちゃいますよ?」

「帰れませんよ」

「そうだった……」

「とにかく、なにか怪しいものがあるはずです。それを見つければきっと……」

「怪しいものですか……」

 二人は揃ってため息を吐いた。屋敷の中は一通り探索したがそんなものは見つからなかった。なにより、住人であるカラリオ家の三人が五日間も探して見つからないのだ。そう思うと、エプソンの気がどんどん重くなった。

「ダメダメ!」

 叫ぶなり、エプソンは目の前のテーブルに頭突きした。

「どうしました!」

「大丈夫です、きっと見つかります! もう一度探しに行きま――」

部屋の扉を開いたところでエプソンの体がピタリと静止した。

今、何か気になるものを見たような。

「エプソンさん? どうしました?」

「黙って!」

「はいぃっ!」

 振り返る直前、視界の端に何かを見た。なにか、怪しいものを。

「待って待って。この部屋に入って、ソファに座って、立ち上がって、テーブルに頭突きして、扉に向かって――」

 自分の発した言葉の中に答えを見つけた。

 テーブル。ソファの高さに合わせた長方形のローテーブル。それが今、確かに動いた。天板が波打ったのだ。

 エプソンはもう一度テーブルに頭突きをする。

「ほんとにどうしました! お気を確かに!」

 エプソンはツヨインクには目もくれず、テーブルに懐中電灯を向け注視した。すると、さっきよりも大きく天板に波が立った。ツヨインクもそれに気づき、甲高い叫び声をあげる。

「ここ、これですよ! 間違いない! 犯人はコイツだぁ!」

「わかってます! 落ち着いて!」

 命をもったテーブルにどう立ち向かったものかとエプソンが思案していると、テーブルが高く飛び跳ねた。

「あっこら!」

テーブルはエプソンの頭上を飛び越えると、開けっ放しにされた扉から出て行ってしまった。

「まったくあなたが開けっ放しにするから! んもう!」

「すいませんね!」

 二人も慌てて部屋を出る。テーブルは低く飛び跳ねながら移動しており、それほど動きは速くない。すぐに追いついたエプソンが上から覆いかぶさるが、あっさり振り落とされてしまう。

「まったくあなたが貧弱だから! んもう! 根性見せてくださいよ!」

「生き帰ったら覚えてろよ」

 それから何度もテーブルを捕まえようと奮闘するエプソンだが結果は出ず、体力と気力が奪われるばかりだった。

「何か、何か捕まえる方法はないんですか?」

 息も絶え絶えにエプソンが尋ねる。

「そんなこと言われても……。そういえばあのテーブル、濡らすとダメになるって祖父が言ってましたねぇ」

「それだ! 濡らしましょう!」

「しかし屋敷が死んでから水道も使えませんし窓も開きませんよ?」

 エプソンは疲労の溜まる体に鞭打って玄関ホールに向かった。そして傘立てから自分の傘を取りだす。

「水ならあります。たんまり濡れてますよ!」

「濡れてるって言ってもその程度の水でいいんですかね」

 ツヨインクのことは無視し、先程テーブルを取り逃がした二階の廊下へ戻る。

「いた!」

 隠れもせず、ただただ飛び跳ねるテーブルめがけてエプソンが傘を向ける。開いた傘を閉じる動作を小刻みに繰り返し、溜まった雨粒をテーブルに飛ばす。すると見る見るうちにテーブルの動きが大人しくなった。

「おお、弱ってます!」

「とどめよ!」

 エプソンはダメ押しに、閉じた傘の傘布を直接テーブルにこすりつけた。ほどなくしてテーブルは完全に動き止める。

「やりましたな!」

「ああ、疲れた……。心臓はどれです?」

「出てきましたよ、ほら」

 ツヨインクの指さす先、すっかり濡れた天板には真っ白い光を放つ玉が載っている。これがこの屋敷の心臓らしい。

「はやく地下室に! さあさあ!」

物を持てないツヨインクに代わってエプソンが心臓部屋に心臓を戻すと、屋敷の中が一気に明るくなった。照明がついたらしい。

「やった! 戻った! 戻れましたよ!」

 ツヨインクも晴れて肉体を取り戻し、年甲斐もなく声を上げて歓喜に沸いた。そんな彼の足を、エプソンが思いっきり踏みつける。

「痛っ! でも痛みが感じられるのっていいですねぇ! 生きてる証拠ですよ!」

エプソンは舌打ちをかました後、来る途中に持ち出した鍵でしっかりと施錠し、玄関ホールへと戻る。

「お姉ちゃん、もう行っちゃうの?」

「そうよ、恩人なんですからおもてなしさせていただきますわ」

「いえいえ、お気になさらず! 皆さん無事でよかったです」

 本格的にツヨインクの顔を見たくなくなってきたエプソンはとっとと帰ろうとするが、当のツヨインクが待ったをかけた。

「ちょっと待って!」

「なんですか、テーブル壊したのはしょうがないでしょう」

「いや、そうじゃなくてね。ありがとう。君が来なかったら我々は助からなかったよ」

 予想外の言葉に、エプソンは面食らった。ここを訪れてから一番の驚きかもしれない。

「どういたしまして」

 外に出ると相変わらず降り続く大雨の轟音に包まれたが、エプソンはそれについて悪い気はしていなかった。










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