財部布三夫(ざいべ ふみお)は奇妙な空間にいた。目の前には人の形をした影が二つ立っているのだが、
片方は黒く片方は白い。そのどちらもがくっきりと浮き出て見えるこの空間は何色なのだろうか。

『さっさと渡しちまうも良し』

 口の動きも見えず、どこから聞こえているのかもわからないのに黒い影の声だとわかる。

『自身で持ち続けるも良し』

 こちらもまた、白い影が発したものだと認識できた。

 布三夫は二つの影をしげしげと見つめるが、立体感のない、薄っぺらい影に顔のパーツは何も見えず、
やはり人の輪郭をしているということしかわからなかった。

 

 絹を裂くような女の悲鳴が聞こえたかと思うと、布三夫は見慣れた通学路に立っていた。
悲鳴のしたほうを振り向くと、公園の中に二人の男と女が一人見えた。男二人が女を挟み込むかたちで追い詰めているようだった。
男の一人が女の手首を掴んでいる。
いずれも布三夫の高校の制服を着ている。考えるよりも先に背の低い柵を乗り越え彼らのほうへ駆け寄ると、三人の目が一斉に布三夫に向けられた。
三人とも、布三夫の知る顔だった。

 掴んでいた女の手首を離し、近づく布三夫と女の間に割って入ったのが十鳥左九(とっとり さきゅう)。布三夫と同じクラスで、坊主頭のはぐれ者だ。
気に入らないことがあればすぐに怒鳴り散らすため、誰からも距離を置かれている。

 今なお二人の男に挟まれているのが清津(きよつ)。同じクラスになったことはなく話したこともないが、苗字と顔くらいは布三夫も知っていた。
真面目な印象のある彼女が、何故このような状況に陥っているのだろう。

 そして彼女たち二人の先、布三夫から最も離れた位置にいる男は爆山凶夜(ばくやま きょうや)
二メートルを超える大男で、肉付きも良い。十鳥が皆に鬱陶しく思われているだけなのに対し、彼は誰からも恐れられている。際銀高校の番長ともいえる存在だ。


「てめえ財部! でしゃばんじゃねぇぞ!」


 十鳥が顔を近づけ、大声で喚き散らす。陰では学年中で嘲笑されている十鳥だが、いざ絡まれると財部は恐怖で立ちすくんだ。


「財部君・・・・・・?」


 予期せぬ事態に、危機の渦中にいるはずの清津さえも困惑の色を隠せない。


「いや、何やってんのかなって・・・・・・」

「テメーにゃカンケーねーよ!」


 彼らが恐ろしくてたまらないが、清津を置いて逃げることもできない。
なんの考えもなしに飛び出してしまった自分がとても恨めしい。なぜこんなことになってしまったのか、そればかりが頭の中を駆け巡る。
 布三夫が何もできないでいると爆山が怒号を飛ばしてきた。


「財部ェ! てめぇはアウト・オブ・眼中だ! 今なら見逃してやる!!」

「爆山さんがああ言ってんだ! ありがたく尻尾巻きな!」


 彼らの声を聞きながらも、場違いな思考は止まらない。

 なぜこの場に飛び出したのか。おかしな白昼夢を見た後で冷静な思考ができなかったせいだ。
なぜ白昼夢など見たのか。そういえば、あの奇妙な光景が広がったきっかけがあった。
たしか、財布を拾ったのだ。その瞬間に白と黒の影を見た。あの財布は今、どこに――。


「あン? テメー、ついでにそれも置いてけよ」


 十鳥が指さしたのは布三夫の左手――が握っている、藍色の財布。布三夫のものではない。さっき拾ったものだ。

 清津を見捨ててこの場から逃げるか否かは未だ迷っていたが、誰のものかもわからない財布を渡すことに抵抗はなかった。
布三夫が財布を差し出し、十鳥が受け取ろうとしたとき。財布が強い光を発した。布三夫の手には単なる皮の感触しかないのに、財布全体が青く輝いている。


「なんだ!?」


 その場にいた誰もが驚き、財布に注目していた。その隙をついて清津が逃げ出そうとするが、爆山に腕を掴まれた。

 布三夫の脳内に声が響く。


『渡しちまってもいい』

『渡さなくてもいい』


 先ほど聞いた、黒い影と白い影の声だ。


『『だが』』


 二つの声が重なる。


『『この財布は力になる』』


 財布はそれまでよりもいっそう強い光を放つ。それを最後に、光は収まった。残されたのは先程までと同じ緊迫した状況だ。

 いや、同じではない。布三夫は理解していた。自分の手に財布があることを。その財布が『力』になることを。


「なんだかわからねぇが……とにかく失せな! 財布ももういい!」


 十鳥が凄んでも、布三夫に恐怖心はなかった。布三夫は彼らに背を向け、ゆっくりと歩き出す。

 一歩、二歩、三歩。

 布三夫は再び振り返り二つ折りの財布を開く。


「テメェ・・・・・・ナメやがんのもいい加減にしろよ!!」

「逃げて財部君!」


 十鳥と清津、二人の声が交わる中で、布三夫は足を開き膝を曲げ、左手に持った財布を腰だめに構えて右手の人差し指と中指を札入れに滑り込ませた。


「ブッ殺してやる!」


 十鳥が布三夫目がけ殴りかかってくる。対する布三夫は深く腰を落とし、向かってくる十鳥から目を離さない。


「馬鹿が! 突っ込むんじゃねェ!」


 爆山の制止する声が響くが、十鳥は、そして布三夫はもう止まらない。

 布三夫は右手を札入れから抜き出し、そのまま右上方へ勢いよく振り抜く。

 鋭い打撃音。
 十鳥の動きが止まり、ほどなくしてその場に倒れ込んだ。

 布三夫が掲げるその右手――人差し指と中指は緑色に光る長方形を掴んでいる。
それは長いほうの二辺が一メートル近くあることを除けば、ちょうど紙幣のような形をしている。


「『円札抜刀』」


 その名を、布三夫は理解していた。


「あれはまさか・・・・・・」


 そう呟く清津の腕を放り出し、爆山は一歩前に出る。


「まさかテメェ・・・・・・『テーマー』か」


 清津が考えていたのと同じことを口にする爆山。

 肯定するように布三夫は言った。


「俺のテーマはNo.76・・・・・・『お財布』だ!」


 財布の落とし主は誰なのか。二つの影はなんなのか。それらは依然としてわからないが、
自分が『テーマ』という名の戦う力を得たことだけは当たり前のようにわかっていた。


「その円札抜刀とやら・・・・・・本来は斬るモンじゃねぇのか?」


 爆山の言う通り、円札抜刀とは本来刀のように斬る武器だ。しかし布三夫は咄嗟に腹の部分を十鳥の顎に打ち付けた。


「今の俺じゃ力を使いこなせない。人を斬って殺さない保証はない」

「ククッ・・・・・・ハーッハッハ!! 」


 突如大声をあげて笑いだす爆山。布三夫は円札抜刀を身の前に構え、清津は一歩後ずさって警戒しつつその様子を見ていた。


「ムカつくぜ・・・・・・その甘ったれた根性。殺す価値もねェただのカスだと思ってたが改めてやんよ。テメェ・・・・・・イン・オブ・眼中だ」


 瞬間。戦いの経験がない布三夫でさえも感じられる殺気が辺りに溢れる。先程までの恐怖心が蘇るが、
布三夫は力があること、そして清津を助けたいという思いを支えに爆山と対峙することを選んだ。少なくとも清津を置いて逃げる選択肢はもうない。


「ようこそ・・・・・・俺様の視界へ」

 

第1話 財部布三夫のテーマ



 

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